●Love Spiritual Peace(ラブスピース)とは●
   Love Spiritual Peace と dozen/Ren




2007年01月15日

先入観が闇へいざなう

昨日、俺の一言に蓮がボソっと
「最近よく言うよね、その言葉。」
と言った。

その一言とは、
「ちょっとのことだった。」
という類の言葉。

この蓮の言葉を聞いたときは、深く考えずに『物事全体を見れていない。』という結論にしてしまっていた。

寝る前に、昨日書いた記事の「先走るクセ」と、この「ちょっとのことだった。」という言葉が気になり、内観してみた。

「ちょっとのことだった。」と発した時に起こった出来事は、PCのスピーカーの設定に関してのこと。
でも、この設定を昨日だけではなく、2〜3日前にもやっていた。

2日かけて悪戦苦闘の末、やっと設定が出来たのだが、それが本当に「ちょっとのことだった。」のだ。

スピーカーから出る音にエコーがかかり、聞きにくかったので、エコーをかからないようにしたいというごく簡単な設定。

でも、自分が知っていることばかりに囚われ、全体を見ていなかった。

ここにポイントがあった。

『思い込み』、『先入観』で物事を見る。
これだろうという先入観が邪魔をし、ちょっと気に掛けていれば、簡単に見つけられたことが、見つけられないでいた。

見事なエゴの罠にはまってた。(苦笑)

先入観とは、「前もっていだいている固定的な観念。それによって自由な思考が妨げられる場合にいう。」
思い込みとは、「深く信じこむこと。また、固く心に決めること。」


この『先入観』や『思い込み』というものは非常に厄介なもの。
どうもこれが『傷付いたインナーチャイルド』が反応(自己防衛)するときの情動に深く関連しているのを再認識した。

怒りの感情と情動については、すでに9月のインチャレッスンで少し扱っていたのだが、ここにきて再認識せざる得ない状態。

何故なら、『神聖さに沿う!!  これがあなたの大いなる課題です。 もっとも重要なことですよ。』に直結しているからだ。

「先走るクセ」の日記で、


『神聖さ』を求めるがあまり、自分の中に出てくる感情を抑圧していることに気付いていなかった。
近視眼的な視点になっていたため、ある人物が持っている闇と外からの闇と連携による不愉快さに、『怒り』を持っていたのを少し気付いていたのに、解放しようとしていなかったのだ。

その不愉快さが続き、気付いているのに、気付いていないフリをしようとして、『怒り』を抑圧していたのだ。
これが闇の誘い(いざない)とも気付かずに。


と書いた。

ここに書いた『怒り』は、ある人物の闇の部分に対してのはずが、いつの間にかすりかえられて、その人物そのものに『怒り』を抱いていたのだ。
そして、先入観を持って見始める。
エゴフィルターで見始めていたということ。

愛の部分も、闇の部分も、その両方を人間は持っている。
しかし、この『先入観』や『思い込み』のお陰で、その人物はあたかも闇しか持ってないように思ってしまっていたのだ。

この『先入観』を持って見るから、近視眼的にモノを見るようになる。
そして、『怒り』を募らせる続ける。

そのときにすでに近視眼的なモノの見方になっているから、『神聖さ』を見るのも当然近視眼的。
結局視野が狭まり、全体的に起こっている物事を見ることができなくなる。

まさに二元性に慣れきった顕在の成せる業としか言いようがない。
両極端な部分しか見えなくなっていた。

『先入観』や『思い込み』を持ってモノを見るというのは非常に恐ろしいこと。

より全体を見なければならないと肝に銘じなければならない。




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posted by dozen/Ryu at 21:32 | 0701 Love Life | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする