●Love Spiritual Peace(ラブスピース)とは●
   Love Spiritual Peace と dozen/Ren




2007年01月15日

自分の行動もチェックせよ

先入観に関して内観しているときに、今この世界(日本だけかな?)は『怒り』に対して寛容だなと感じた。

喜怒哀楽という、人間のさまざまな感情を表す表現がある。
(実はこの言葉、感情を表現するというには少しおかしいと思ってる。)

喜と楽は、笑顔をイメージできる。
この笑顔を表現してはいけない場というのが存在する。

例えば、お葬式、学校や会社の集会など、目上の人の話しを聞く場(例外のときもあるが。)などかな。
笑顔が、人を馬鹿にしているように感じられたり、真面目に聞いていないと取られたりするというのが主な原因だろう。

しかし、怒りを表現してはいけない場として認識されている場というのは、厳格にはないのではないだろうか。

お葬式でも集会でも、陰で『怒り』を表現している人はいる。
しかし、注意をされるのは笑顔に比べて少ないのでは?と感じる。

俺の感覚では、やはり『怒り』に対して寛容だなと思う。

そもそも何故『怒り』に対して寛容なのかと考えたときに、ひとつは突然やって来て、抑えにくい感情だからかなと思った。
では何故突然やってくるのか?

連日同じ言葉を書いているが、それは『傷付いたインナーチャイルド』の自己防衛反応だからなのである。
インチャの反応、つまり子供の反応と一緒ということ。
我慢できないのだ。

『怒り』=自己防衛とはおかしな話し。
ケンカと同じ、もっと大きく言うと戦争も同じではないか。


『怒り』という感情というのは、
精神的な痛い、嫉妬、不安、自尊心の低下、無力感、欲求不満、イライラ、抑うつなどのほかの情動と一緒になって起こる感情。
実はかなり複雑な感情なのだ。

しかも、暴力的に表現されることが多い。
「聖なる予言 実践ガイド」のコントロールドラマの分類にある脅迫者の説明で、

「脅迫者はどなったり、体力的に圧倒したり、おどしたり、急にわめきたてたりして人々の注目を引こうとする人たちです。
怒らせはしないか、文句を言われはしないか、極端な場合には、暴力沙汰になりはしないかと、他の人々を恐怖で追いつめます。
この恐怖と、「次に一体、何が起こるのか」という注目のためにエネルギーが彼らの方へ行ってしまうのです。
脅迫者は常に目立ちます。
彼らは他の人々を怖がらせ、不安にします。
基本的に利己的な彼らの行動は、まわりの人に命令する、ずっとまくしたてる、権威主義的、柔軟性がなく、皮肉屋というところから、暴力的なところまで幅広く広がっています。
脅迫者はおそらく、宇宙のエネルギーから最も切り離された人といえるでしょう。」

と書かれている。

この脅迫者が良く使うのが『怒り』。

ということは、闇に関与されやすいエネルギーということを指しているということになるだろう。


しかし、『怒り』の本来の目的は、
人間関係において、「何かがうまくいってない、注意する必要がある。」という信号であり、「相手の行動をチェックせよ。」と同時に「自分の行動もチェックせよ。」という合図でもある。
相手に「行動を変えて欲しい。」と主張的な依頼をし、心にわだかまっている葛藤と直面させる力があり、浄化作用もある。
怒りという感情の扱い方を誤まったときに、人間関係を壊してしまう。

と「思いやりの人間関係スキル」という本に書かれている。

俺は、この中でも「自分の行動もチェックせよ。」という合図のように思える。

なぜなら、『怒り』を抱く根本的な原因は、愛の成熟の未熟さにあるからだ。

高次たちの接し方を見れば良くわかる。
彼らは決して『怒り』を抱えてメッセージを発しない。
彼らがメッセージを強く発する場合に、『怒り』を感じるのはこちら側。

単なる先入観に過ぎないのだ。

どんなに闇に関与しようが、「愛を持って見守ります。」と本当に言っている。
決して嘘、偽りなしに。


蓮が面白い話しをしてくれたことがある。

人の中に、光の種と闇の種が見えるという。
今はまだ種の状態なのに、花が咲いているが如く見えると。

その花が咲いた状態で、エッセンスを話すと、その人は理解できない。
しかし、その種が芽を出し、成長していくと、その人は少しづつ理解を始める。

蓮が話すタイミングは、人に理解されにくいという一例なのだが、これが闇の話しだとなお理解されにくくなる。
エゴるからだ。
その理由は、自分にその闇があるとは気付いていないからだ。
人は、気付いていなければ、いないほど、自分の状態を認めていないほどエゴる。からだ

そこには「わからない。」という『先入観』が邪魔をするのかもしれないし、その人が持っている言葉に対しての『思い込み』が邪魔をするかもしれない。

しかし、事実を話している蓮には関係のない話し。
なぜなら、「愛を持って接している。」だけだから。

高次たちが話してくれるメッセージも、このようなモノの見方が非常に多く存在している。
だからこそ、「愛を持って見守ります。」と言えるのだ。

と見ていくと、『怒り』を抱えるの根本的な問題は、まず自分の状態が理解できていない。
そして、コミュニケーション不足、表現不足、理解不足など、多岐に渡るのが理解できる。
そして「相手と上手くコミュニケーションできない。」、「相手に上手く表現できない。」、「相手の話しが上手く理解できない。」という自分の状態への理解が甘いゆえ起こる『怒り』を相手に投影し、表現しているのではないかと感じる。

だから『怒り』に寛容にならざる得ないのか。

『怒り』とは誰に対しても不愉快エネルギー。
だからそこ「自分の行動もチェックせよ。」という合図なのだ。




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posted by dozen/Ryu at 21:48 | 0701 Love Life | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする