俺が少しだけ眠っている間に、蓮も眠りに誘(いざな)われ、そのときにソースからのメッセージを貰っていた。
そのメッセージは、
『現世の余韻に執着している。』
この意味は、キリスト化領域に入り『夢(現世=3次元)から醒めた』蓮に、言われている。
少ししてからさらにまたソースの誘(いざな)い変容が始まり、そのなかでソースからのメッセージを蓮は受け取った。
アクセスのように外への表現はない。それはソースと蓮の直接交流。
交流しながら蓮は泣き出した。まるで子供かのように。
隣で心配する俺に、一生懸命ソースに言われたことをとぎれとぎれ伝えようとする。
「ソースに怒られたぁ〜」ともうまるで子供。
俺は「ソースが怒るわけないから。」と、なだめる。
そんなことは蓮は俺より重々承知だ。なのに子供のように泣きじゃくる。
ソースに言われたのは、
『夢遊病みたいなことをしてない。』
『システムを認めなさい。』(蓮の機能と役割)
『ソースに誘(いざな)われなさい。』
というメッセージ。
変容が終わったのにも関わらず蓮は、まるで子供のように凹んでいる。
まさに霊的インチャの現われ。
しかしここで勘違いしてならないのは、純粋なインナーチャイルドの反応をしているということ。
インチャというと、ほとんどの人は『傷ついたインナーチャイルド』を連想するのだが、実はそうではない。
この蓮のインナーチャイルドのような反応が、蓮が3次元的で「単に子供みたい」と勘違いされる反応でもある。
サポを進めていく中で、俺は蓮に神聖さを励ましていた。
「蓮が神聖さにもし沿わない部分があるなら、それは蓮だけじゃなく俺も心地よくないことを意味するんだよ。」と。
もちろん優しく言ったのだが、それを聞いて蓮はまた泣き出してしまった。
「そんなのイヤだぁ〜」と。
俺はさらに「俺だけじゃなくみんなも心地よくないことになるんだよ。」と言葉が出ていた。
するとさらに蓮は大きく泣きじゃくってしまった。
とぎれとぎれ、
「みんなも心地よくないのなんてヤダぁ〜。それは蓮が心地よくないことと同じなんだぁ〜」と。
そしてしばらくずっと泣いていた。とても悲しそうに。
夜になって普段の蓮に近く戻ったようだが、まだ完全にいつもの蓮ではない。
すると、このソースからのメッセージについて、蓮が俺に探求サポをしてと言ってきた。
正直、蓮に探求サポ?できるのか?というのを思ったのだが、パートナーとして、出来る限りのサポートをと思いやってみた。
途中で泣き出す。また純粋な蓮になっていた。
蓮の気付きもあり、思いのほかスムーズに答えは見つかった。
するとまた、反応が純粋なインチャになり、さらに泣き出してしまった。
翌日の今日も朝からちょっと凹み気味。
その横で俺はあることを調べていた。『神聖』さについて。
まずはその調べたことだけを並べ出し、横にいる蓮に俺は説明した。
「神聖っていうのを調べたならな・・・うんぬん・・・うんぬん。」
するとまた蓮は昨日と同じ状態。泣き出してしまった。
「ソースが言ってるぅ〜」と。
蓮には、すべてが具現にすぎず、その具現の向こう、通り越した向こうの交流状態に感じるらしい。
なので、ソースとの会話に感じているのだ。
昼になり、ランチを食べながら、話しをする。
蓮が何故涙を流したのか?
その理由は、真の神聖さに十分沿っていなかった自分への甘さ。
その甘さがなければ今回、年末から起こっている一連の流れを少しでも変える波及になったのに、と。
その甘さがなければ今回のことはもっと違う学びになったのではと、悲しんでいる。
今回、大雑把に見ると、俺を含めて3人が主に流れの中で中心になった。
蓮にとっては、もう分離の感覚がないのだ。
俺も残りの2人も蓮には自分自身なのだ。
蓮、俺、残り2人=4人、という分離ではなく、全部自分=1、になっているのだ。
その誰もを蓮は自分と感じている。
だからこそ、もっと神聖さに沿っていれば今回のことは違った誘(いざな)いが自分に起きたのでは、という想いなのだ。
この甘さに気付いていた自分がいる。
でも気付かないフリをしている自分もいる。
その中には変化への恐れがあるのも認めている。
だが、今までの自分が成長してきた流れを見ていくと、そこに恐怖が介在した事実がない。
変化に恐れているのは、顕在の自分だけということを、内観し蓮は気付いた。
だからこそ、純粋に自分の甘さがあったことに、つまり、「自分を愛すことが十分ではなかった。」=「神聖さを欠いた自分。」が悲しいと感じた。
だからソースのメッセージは優しかったのに、それを自分は怒られたと蓮は感じるという。
ここでも誤解しないでほしい。
怒られたというのは、抵抗しているのではなく、自分でわかりすぎていて降伏しているのだ。痛いのだ。
厳密に言えば怒られた・・・ではなく、怒られたほどにその痛みを感じる・・・という意味になる。
そしてこれは決して責任を感じているのではない。
ここも誤解してもらっては困る。
純粋に愛を波及させる、純粋に自分を愛するという想い。
それしか蓮にはなかったのだ。
この想いを文字にすると簡単にしか書けない。
簡単にしか書けない俺がいる。
簡単にしか書けないレベルの成熟さしかない俺なのだ。
蓮の感じることは深すぎる。
だからこそ本当の神聖さをもっと学ぶべきなのだ。
昨日のメッセージの『素直さ』というものの大切さを、さらに蓮を通し俺は知り、
自分が持っている『素直さ』を敬愛し、認めなければならない。という純粋さへの気づきがさらに深まった。
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