ここ最近、闇の関与に関わる大きな2つの出来事があった。
でも不思議なことが起こっている。
片方に対しての評価が甘いのだ。
しかも特に危惧すべき出来事に対しての評価が。
何故なのかと疑問に思い、先日書いた『神聖さってなんだろう?』という記事を見直してみた。
すると、しっかりと抜け落ちていることがあった。
ここでの評価が甘かったのは俺だった。
『神聖さってなんだろう?』という記事で、『神聖』という言葉を理解しようと辞書を使って調べた。
そのひとつ、『汚れる』という意味が甘かった。
【汚れる】けが・れる
・清らかさ、純粋さ、神聖さなどが損なわれて、よごれた状態になる。よごれる。
・名誉や誇りに傷がつく。
・女性が貞操を失う。
という意味を引っ張り出したのだが、本当は『汚す』という言葉を引っ張りだすべきだったと意味を調べ気付いた。
【汚す】 けが・す
・大切なもの、清らかなものをよごす。
・恥ずべき行為などをして名誉・誇りを傷つける。
・能力、身の程を越えた地位につくという謙遜の気持ちから、ある地位や席につく。
・暴力で、女性をはずかしめる。
・手をつける。食べる。味わう。
『汚れる』と『汚す』は、似て非なるもの。
「神聖さが汚れる」行為と、「神聖さを汚す」行為は違うのではないか?
2つの出来事は、「神聖さを汚す」行為が行われ、「神聖さが汚れた」と解釈するのが素直ではないだろうか。
ということは、「神聖さを汚す」行為がどれだけ行われたかが重要ではないのか。
・大切なもの、清らかなものをよごす。
⇒これは2つともある。
・恥ずべき行為などをして名誉・誇りを傷つける。
⇒これも2つともある。
・能力、身の程を越えた地位につくという謙遜の気持ちから、ある地位や席につく。
⇒これには、『謙遜』というところからの視点では片方しか行われていない。
・暴力で、女性をはずかしめる。
⇒これは、『暴力』というところからの視点では両方行われた。
・手をつける。食べる。味わう。
⇒『手をつける』というところからの視点では、片方しか行われていない。
これはあくまでも俺の観点だが、俺はこのように見ている。
【謙遜】
・へりくだること。控え目な態度をとること。また、そのさま。
【暴力】
・乱暴な力・行為。不当に使う腕力。「―を振るう」
・合法性や正当性を欠いた物理的な強制力。
【手を付ける】
・他人の金品を不正に使用する。
手を付けるは、手を出すとも言い換えられるのではと思い、調べてみた。
【手を出す】
・手を使って、対象となるものに動作をしかける。
・暴力を振るう。また、けんかをしかける。
・ 新たに関与する。
・人のものを盗む。奪う。
・女性を誘惑する。
『手を付ける』、『手を出す』という意味には、「他人」、「人のもの」という言葉に注意を払うべきだろう。
このことがサナンダが一番危惧したことであり、2つのうち、1つだけに顕著に現れている。
何故片方の処置がカレッジへの出席の停止に対して、片方は注意に留まったのか。
そして今後の内の状態によってはカレッジを離れてもらうとまで、言われているのか。
この点をどれほど霊的な視点で見れている人がいるのだろうか?
それが今回、俺と蓮が感じた評価の甘さに繋がっていると感じる。
このことを十分踏まえた上での対応が、カレッジの『神聖さ』をさらに高めてくれるのだ。
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