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2007年02月23日

闇、エゴは悪いものか?

京都のカレッジの数日前に、エゴとは何?闇とは何?みたいなことを考えていた。

エゴ、闇とは本当に悪いものなのか?
本当に悪いものを俺は持っているのか?

なんとなく漠然と疑問に駆られ、今まで体験した色々な場面を思い出しながら、それを第3者的に見るような感じで見ていた。

エゴ、闇=悪いもの、不必要なものという考えを失くしてみたときに何が見えるのかなと想像してみた。

やはり思い込みが浮上する。
漠然とした疑問が、答えを導いてくれる。

まずエゴをインチャに絞って考えてみると、傷付いたインチャが示す反応は、『自己防衛』。
傷付いたインチャが行う『自己防衛』が、機能不全と言っているもの。

しかし、機能不全を取り除いてみると何が残るのか。

『愛』や『素直さ』になるのではないのか。
『自己防衛』とは、自分の本当の愛し方をしらないが故に起こっているのではないのか。

エゴも然り。
エゴ、闇も大きな視野で見れば、自分を愛したいと思っているからこそ行われている行為なのではないだろうか。

そこにあるのは、無防備でいることへの『恐れ』、無防備でいるが故に『認めてもらえない』などという思い込み。

だからといって、エゴや闇の行為を安易に認めることはできない。
その根底にある自分自身を愛したいが故の行為という部分を抜け落としてを認めるのは、あまりにも無防備だからだ。

この無防備さが、周りに影響を及ぼし、影響を受ける基になっているのは言うまでもないこととは思うが、これに気付かないと本当の許しや自己受容ができない。

何故なら、そこには『愛の土壌』があるのをしっかりと認めないと、本当の意味で学ぶべきことがわからないからだ。

闇を引き寄せる、エゴを出す、言い換えると、闇を学ぶ、エゴを学ぶ。
すると、その学んだ闇やエゴは、光のツールへと変わってしまう。

しかも、光や闇というのが単なる学びの創造であるならば、そこにあるのは自己成長のためのツール以外何ものでもない。

とするならば、当たり前の話しなのだが、自分を愛で満たすことが自己成長に繋がる。

そこに偏見の目を持っていてはいけないことになる。

『時を超える聖伝説』に書かれていた一説を思い出した。


見解や判断や重圧が増すにつれて、重力も増していった。
制限が強まると、重力も増していった。身動きできない状態それが重力。
あなたが問題をかかえ、身動きできなくなった時、文字通りあなたの体重が重くなるのだ。
これが、見解と判断からうまれてくるものなのだ。


まさにこの通り。
光を善と判断し、闇を悪と判断する。

すると、3次元に縛られるようになる。

しかし、光も闇も、愛の土壌の上にあり、学ぶためのツールであると理解するならば、そこに善悪の判断は生まれない。
すなわち、人の行為や発言などを良いこと、悪いことと判断することがなくなるということ。

すると、相手が言ったことが素直に聞けるようになる。
聞くこととは、人とのコミュニケーションで一番大事なものと俺は理解している。(出来ているかどうかは別だよ。笑)

だからみんなで学べることにも繋がる。

それが本当の意味で愛をに学ぶことなのだ。







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posted by dozen/Ryu at 08:25 | 0702 Love Life | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする