●Love Spiritual Peace(ラブスピース)とは●
   Love Spiritual Peace と dozen/Ren




2007年04月17日

蓮をツールとして使う。―4―

今度は、2)話しを聞く。

話しを聞くということで、一体何が得られるのかを考えてみると、「言葉のエッセンス」と「気づきの促進」というのが見えてきた。



蓮は、突然相手に何らかの話しを始める。
そこには、「言葉のエッセンス」がふんだんに込められている。

しかし、あくまでもエッセンス。
なのに、そこで聞く側にエゴが介在すると、そのエッセンスを素直に受け取れない状態になる。
経験上、今まで数え切れないほどこの状態を作っていた。

その状態を振り返ってみると、必ずと言っていいほど俺の内の状態が反映され、エゴで対応していた。
素直に聞けてないのだ。
何故そのような状態になるのかと考えてみると、

○俺が触れて欲しくない部分を触れる。
○蓮を認めていないが故に、抵抗する。
○蓮を認めていないが故に、競争をする。

などといった部分がかえりみれる。

だから、蓮が素直に感じたことを率直に言っても受け入れられない。
蓮の「言葉のエッセンス」を、その状態では受け取れないことになる。

受け取れないと言っても、本当は受け取っている。
受け取れないという表現を使って、抵抗をしているだけであり、本当に受け取れないのであれば、蓮の「言葉のエッセンス」すら覚えてないのではないかと思う。

つまり、受け取っていないのではなく、受け入れるために、一旦記憶の片隅に留め、消化できるタイミングを待っているだけなのではないかと俺は感じている。
それを腑に落ちないから、「受け取れない。」と表現しているだけなのだ。

腑に落ちないとか受け取れないとか言っているのも、抵抗しているということ。


蓮は、蓮で非常に気を使っている。

蓮は、率直に言葉を飾らないで話す。
人は、蓮をそう見ている。

しかし、本当は、話している相手の反応を冷静に見ながら、相手がエゴらないように話している。
感情を抑え、いかにエッセンスとなれるかと。


こんな風に対応してくれている蓮をよそに、自分勝手にエゴる。
なんとも身勝手な話しであり、反省しかりである。

この件で、サナンダにも怒られた経験もある。
シフにも諭された、コースには切れた、ラムサにも突っ込まれた、コーディエスには励まされた、ロウにも気づきを促された、など、俺はどれだけフォローをしてもらっているのか。

蓮とのパートナーシップがどれほど重要なことで、どれほど神聖なことなのかを理解しているからこそ、高次たちがフォローしてくれる。
蓮を『認めなさい』と。

認めないが故に、蓮の話しを聞けない。


例えば、これが先生と生徒であれば、素直に聞くことができるだろう。
それは、生徒が先生を認めているし、先生も生徒を認めているからだ。

生徒が先生に質問したならば、先生は生徒の質問に答える、それを生徒は真剣に聞く。

生徒は、先生を認めているからこそ質問をし、答えを真剣に聞く。
先生は、生徒が真剣に学びたいと思っているから、真剣に対応する。

互いが互いを認めあうときこそ、互いの意見や想いを聞ける状態になる。

これを蓮に置き換えると、
蓮は接してくる人たちを認めようと常に努力している。
だから、蓮に接する側の俺が、『蓮を認める』。

そうすることで、蓮の「言葉のエッセンス」が聞けるようになる。
それが俺の内に反映して、蓮の「言葉のエッセンス」が活かされるのだ。
posted by dozen/Ryu at 05:35 | 0704 Love Life | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする