
『禅』という映画を観ていて、神聖なものに対してお金を使うということは、欲を手放すということではないだろうかと感じた。
ほとんどの人は、仕事をして、その報酬として給与をもらって生活をしている。
衣食住をその給与で満たし、残った分で、自分が欲しいと思ったもの、やりたいと思ったことへ使う。
それによって、自我の欲求を満たしている。
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二人の人間が合意のうえでセックスという行為にかかわるとき、二人の「体」のすべてが溶け込む。
肉体以上のより精妙な「体」、つまりエーテル体、感情体、メンタル体のすべてが浸透し合うのだ。
心臓の形は、昔から愛情を連想させるものだが、実は、愛情を抱き合う二人のオーラ、言い換えれば卵型のエネルギーの場が部分的に重なり合い、溶け合う様子を示しているのだ。
二人が愛情で結ばれていようといまいと、性行為の際にはそうしたエネルギーの場の溶け合いが起こる。
実は、人は性交の最中に自分の魂・・・・・・をパートナーに向けて開放しているのだ。
だから、もしも互いに幸福を気遣い、案じる気持ちがないと、魂の部分で傷を負う危険がある。
もしどちらかが否定的、敵対的、あるいは無関心な態度をとれば、あるいは、相手を性的にりようしたいという欲望を持っていたら、肉体以外の「体」に傷をつけることになる。
本当の自分を取り戻していく
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